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【中込英夫】コラム54回「選手寿命を延ばしてくれたレース」

今年32回目のシーズンインを前にここまで順調にトレーニングを積んでくることが出来ています。ここ数年では最も充実したトレーニングが出来ているのではないでしょうか?
 
2月下旬サッカーJリーグが開幕しました。今年の話題と言えば同い年50歳の現役Jリーガー三浦知良選手が開幕戦スタメンで出場、そしてつい先日は50代でのゴールも決め、今年も活躍するシーンが多くみられそうです。
 
そんな三浦知良選手に刺激される事も多く、私も50歳での日本選手権出場、完走に向かって日々のトレーニングを積んでいます。
さすがに50歳を目前に身体の衰えは正直感じますが、気持ちの衰えはあまり感じた事がありません。
それは、以前の結果と今の自分の期待出来る結果を比較しないからだと思います。
今年に入ってスイムのフォーム改善に取り組みタイムも少し上向きになり、ランニングのフォームも少し変化をつけ、バイクもポジションを変え、今の私を成長させてくれる事をいろいろ取り入れています。
これらが、すべて良い方向に進んでいる事が実感できるのでトレーニングが毎日とても楽しく感じます。
 
さて、前置きが長くなりましたがここまで私がトライアスロンと長く関わって来ることが出来た要因に1つのレースがあります。
 
1994年、この年の始まる前に複数社のサポートを受けていたのですが、1994年に契約を結ぶことが出来たスポンサーは1社のみ。
1社のサポートだけではとても生活が成り立たないので、今年が最後になるかもしれない、と言う厳しい気持ちで臨んだ年でした。
 
そして、ワールドカップ第1戦で日本選手としてはトップの成績で同時に兼ねていた日本選手権を取る事が出来ました。
 
その翌週に行われたレースが私の選手寿命を延ばしてくれるレースになったのです。それが、1994年ワールドカップ第2戦「関西国際空港開港記念大阪ウォータフロント国際大会」です。(世界で初めてドラフティングが導入されたレースでもあります)
 
ここでも日本選手としてはトップでフィニッシュし、その場に来ていたパナソニックの方が私にバイクのアドバイザーとして契約をしてほしいと後日連絡を頂いたのです。
後から聞いた話なのですが、実はその日は別の選手を視察しに来ていたのですが、結果的に私が日本選手で最も上位に入った事が契約のきっかけになったのです。
 
まったく予期していなかった出来事に来年も選手が続けられる、そしてオリンピックもまだ諦めなくて良い、と言う事にほっとした事を覚えています。
 
まさに私の選手寿命を延ばしてくれた1レースになったのです。
 

 
ただ、今だから言えるのですがこのレースに標準を絞ってトレーニングをしていたわけではなく、この前の週のワールドカップ第1戦に結果を出すべく調整をしていました。第1戦の日本選手上位3選手がこの年のITUトライアスロン世界選手権の代表になれるからです。
 
そこで結果が良かったので、1週間後のこのレースでも身体がまだ動いてくれたのだと思います。
1994年シーズンはそれまで毎年オフシーズンに行っていたオーストラリアキャンプも経済的に行けずに1人自分のペースでシーズンインまでトレーニングを行っていたのです。それが良かったのか、オーストラリアキャンプに行っていた時よりも充実したトレーニングが出来、結果に繋がる自信があった事は今でも覚えています。そんな状態でレースに臨めるのは本当に数年に1回です。
 
今年50歳で迎える日本選手権の選考会前にもこんな状態で臨みたいですね。
 
私が考える最高のレースとはレースまでのトレーニングが順調に進み、レース展開が理想通りで、結果が付いてくるこの3つが全て揃ったレースが最高なのです。
 
結果が良くてもそれまでのトレーニングが上手く出来ていなかったら喜びは小さいし、逆では落ち込む事も、結果が良くても内容が悪ければ、これもまた嬉しさ半減、最高の結果を得る事はとても難しいのです。
 
それでも、やっぱり今年も最高のレースをしてみたいですね!
 
 

PRチーム

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