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【中込英夫】コラム50回 「オリンピック」

オリンピック開幕しました!
私も現役時代だった頃は92年バルセロナからオリンピックを意識して、96年アトランタ、そして、正式種目となった2000年シドニーと待ち続けました。
 
チャンスは4年に1度。
私にとっては生涯に1度きりのチャンスでした。2000年シドニーオリンピックの時33歳。待ちに待ったオリンピックへの最初で最後のチャレンジでした。
 

 
スポーツ選手は最も良いパフォーマンスを出せる時間がとても短く限られています。
人の生涯が男性75歳とすると、スポーツ選手は長くて10年、とすると生涯として考えられる競技時間は人と比べると1年が7-8倍の速度で進んでいます。
私もピークの時間は2-3年ほどだったと感じていました。26,27,28歳の頃でした。
 
少ないチャンスを何度も獲得しさらにメダルを複数獲得している選手もいます。
私は1度で良いからオリンピックに出場したかった・・・そんな目標だったのでオリンピックに出場出来なかったのでしょう。複数のメダルを獲得した選手はもはや、人間を超えているとさえ感じます・・
 
しかし、多くのスポーツ選手はオリンピックに出場出来ずに、出場してもメダルには届かなかった経験を持っています。
目標設定が異なるのでしょう。
目標がオリンピック出場ではなく、オリンピックで具体的な自分の成功イメージを描け、目標を掲げ、その確固たる明確な理由も持っているのです。
私は2000年を迎えた年には自分の力の全盛期と比べてしまい、自分を心の底から信頼出来ていませんでした。
 
選手にとってオリンピックは一つに節目になります。競技選手を引退、指導者になる、まったく異なる世界にチャレンジする。
私もオリンピックを境に大きく環境が変わりました。2000年シドニーでは選手として達成出来なかったオリンピックへの関わりですが指導していた選手が代表となり指導者として参加しました。そして、2004年アテネオリンピックは指導していた選手が最終選考まで行ったものの出場出来ず、その当時所属していた実業団チームも解散。その後、愛好者への指導者と進みました。
 
オリンピアンと言えすべてのスポーツ愛好者と同じ。
スポーツを楽しむ、行う事に関してはすべての人が同じ価値であり、お互いを尊重し、それぞれの目標に向かって行う過程、そして、生涯楽しめる環境を自分で作り出す事が大事だと思う。
私は今の自分の仕事がとても好きです。トライアスロンで仕事が続けられるなんて、思ってもいなかった時期もあります。
でも、毎日続けているうちに今の環境が出来ました。多くの人の協力があり、多くのトライアスロンを楽しんでくれる人たちが私のエネルギーになり、そんな人たちにもっともっとスポーツで健康に、輝いて欲しいと願う毎日です。

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